野田屋茶店
920-0997 石川県金沢市竪町3
JR金沢駅よりバス10分 香林坊下車 徒歩10分
☎076-221-0982 営業時間: 9:30〜18:30
生年: 寛永10? (1633)
没年: 正徳2 (1712)
江戸中期の釜師。宮崎家は代々,能登国仲居村(石川県鳳至郡)で鋳物業を営んでいたが,天正年間(1573~92)に金沢に出て前田家に仕えた。
幼名は義一,通称を彦九郎といい,のちに剃髪して徳翁と号した。
京都に上り,大西浄清のもとで釜作を学び,小松城造営に際して加賀藩主前田利常に召されて金沢に戻り,御用釜師となった。
作風は,師浄清を受け継いだ砂肌で,薄作りのすっきりとしたものが多く,柏葉釜,乙御前釜,大講堂釜などがある。
また,釜以外にも仏具類の作品も多く手がけ,寛文7(1667)年から天和1(1681)年ごろの紀年銘を有する銅鐘や三具足などの作例が金沢市近辺の諸寺に伝えられている。
初代寒雉には男子がなかったため,辻与次郎の末孫が養子となり2代寒雉を継ぎ,以降代々寒雉の名を継承して現代に至っている。
香取秀真『新撰釜師系譜』,木下桂風『釜―歴史と鑑賞―』
宮崎寒雉は寛文年間から現在の14代まで、裏千家の釜師として家伝の技で釜を作り続け、高い評価を受けています。